愛された記憶

まだ幼い日のことを私は思い出し始めていた。

夕暮れ、庭にある柿の木と胡桃の木の間で私は、母に背におぶってもらっていた。
母は子守唄を歌いながら後ろにそっと手をやって私の背中を軽く叩き、あやしていた。
その時の、母のあたたかなぬくもりに包まれながら、心から安心した気持ちでいた自分を思い出した。

眠る時、母は足先まで布団をかけてくれ、冷たい空気が入ってこないように肩を出さないようにしてくれた。
そして、そっと頭を撫でながら、私をやさしく寝かせてくれた。

母は私をずっと母乳で育てようとしたらしい。
私は母の乳が腫れるくらい強く吸った時もあったらしい。

母は毎日おしめを取り替えてくれ、顔や体を拭いてくれ、服を着せてくれた。
お風呂に入れてくれ、足指の間や耳の裏まで痛いぐらいに洗ってくれた。

母は毎日朝早くからおれたち家族のために食事を作り、幼い私に食べさせてくれ、そして、家族みんなの食器を洗い続けてきたのだ。

夜遅くまで家族の服にアイロンをかけたり、裁縫をしている母の姿が鮮やかに目に焼き付いている。

母は童謡が好きだった。
いつも家事をしながらよく歌っていたその声を、今もはっきりと覚えている。

私は幼稚園に通っていた頃、たびたび女の子にいじめられていた。
その度によく泣いていた。
そんな私を母は心配していた。

小学校低学年の時、私は体が弱かった。
そのために水泳の時間はプールに入ることもできなかった。
だから、上の学年になって私が水泳大会で25メートルをやっと泳ぎきった時、母はまるで自分のことのように喜んでくれた。
母は私が大人になっても、ことあるごとに私がプールで泳ぎきったその話をいつも嬉しそうにしていた。

私が神社で自転車で転んだ時に地面に割れたガラス瓶の破片が転がっていて左の膝に七針半を縫う怪我をした時、母は何キロもある遠い病院まで一人で私をおぶっていってくれた。

中学に入ってすぐ私が3つの病気を立て続けにして何か月も学校を休んだ時、母は毎日朝から晩までずっと看病してくれた。

運動会にも、参観日にも、PTAにも必ず来てくれた。
幼稚園の時も、高校の時も毎日弁当を作ってくれた。
私がずっと目指していた進学校の夢をあきらめなければならなかった時も、失恋した時も励ましてくれた。

母は毎日のように神社やお寺にお参りに行った。
いつも何をお参りしているのか、母に尋ねたことがある。

「家族が健康でいつも楽しく幸せに暮らしていくことだよ」
母が答えた。

3 愛に気づく時

私は思い出していた。
母が私を、家族を、ずっと愛してくれていたことを。

母はもうこの上なくいつでも私達を愛してくれていた。
そういう母だった。

愛はなかったのではなく、毎日ずっと存在していた。
ずっとずっと愛されていた。

それなのに、私はずっとそれを感じようとしてこなかった。
何かが私が母の愛を感じることを止めていた。

その何かについてはまた改めて書きたいけれど、今になって私はやっと母がずっと長い間与えてくれていた愛情を感じ始めた。
それはずっともらってきた母の永遠の愛だった。

生まれた時から私は実は母の愛情に恵まれていた。
本当に最高の母だった。
それは、もう言葉に表わせないくらいありがたいことだった。
そのことにやっと気づいたのだ。

そして、母にずっと愛されてきたことを自分の内側で再び一つ一つ思い出していく度に、胸の辺りがどんどんあつくなっていき、涙が溢れそうになっていった。

きっと健全に成長してきた人間なら子供時代にとっくに終えている過程を、私は今やり始めている。
自分の中の一部はきっとずっと成長してこなかった。

きっとまだ健全に成長してきた人間の5、6歳くらいのレベルかもしれない。
でも、私は自分の中に成長してこれなかった部分を正直に認め、受け入れようと思う。

自分の中に成長していない部分があるのに、それを認めようとしないでいるうちは絶対に変われないからだ。

4 ずっと、ずっと愛されてきた

たとえば私が小学校の水泳大会の時、25メートル泳げなくても、母は私を変わらず愛してくれていたはずだ。

私が目指していた学校に入ろうが入るまいが、どんな成績をとってこようが、どんな会社へ行ったとしても、母の愛情には何も変わりはないだろう。

私が何をやっても、やらなくても、母の子供に対する愛情は変わらないだろう。

私は母からすでに十分愛されていた。それはもう、私の一生分でもはるかに余るくらい十分愛してくれていたのではないだろうか。

私はただ私であるだけで、母に何もかも愛されていた。
私はただ存在しているだけで、無条件に愛されていた。
だから、ありのままの私は、それがどんな私であったとしても、初めから100%母に受け入れられ、認められていた。

私は母にすべてを認められ、ありのままの自分として何をやってもやらなくても一切関わりなく、無限に愛されていたのだ。

5 永遠の愛

私が母にしてあげられたことは、一体なんだったのだろうか。

母がずっと行きたがっていた中国にも、体がよくなったら一緒に行こうと話していた北海道にも連れていってあげられなかった。

母が闘病している時たまたまやっていたあるテレビ番組で母が大喜びして見ていた、兎がたくさんいるという、日本にある小さな島にさえ連れて行ってあげられなかった。

母は私が結婚したら、その相手と2人で一緒にあちこち買い物したり、いろいろな所へ行くのが夢だった。
でも、その夢はおろか、あんなに子供が好きだった母に私は孫を抱かせてあげることもできなかった。

私が母にしてあげられたことは、時々その固くなった足を揉んであげたことだけだった。
言葉に尽くせないくらいたくさんの愛をもらったのに、まだ何も返せないうちに母と別れなければならなかった。
苦労した母に、苦しんだ母にもっといろいろなことをしてあげたかった。

もっとやさしい言葉をたくさんかけてあげればよかった。
もっと足を揉んであげればよかった。
痛いところをもっとさすってあげればよかった。
もっと楽をさせてあげたかった。

私は何て愚かだったのだろう。
失って初めて大切なものに気づくなんて。

でも、今私はこの母の子供で本当によかったと思った。

いつだって私は、この母の子供であることに変わりはない。
今までも。そして、これからも。

母と一緒に過ごした時間は、すべて真実だった。
一緒に笑ったこと、一緒に泣いたこと。
楽しいことも、悲しいこともいっぱいあった。

これから先私はどうなっても、絶対に母を忘れない。
母からもらった愛を一生胸に刻めるように、母からもらったこの命を大切に生きる。

思い出は心の中に永遠にきっと残る。
私の中にも。
母の中にも。

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