母 2

母のバッグにはいつも、父と、兄と、私の、家族一人一人の写真が入っていた。
そして、母はそれをどこへ行った時も、片時も離すことはなかった。

入院した時も、手術の時も、そして亡くなるまでずっと母の枕元に置いてあった。
「私の御守りなんだ」と、いつも母が言っていた。

母が最期まで持っていた財布は、私が就職した時の初任給で贈ったものだった。
母はその財布を再び私が新しいのを贈ってあげるまで、どんなに古くなってもずっと使っていた。

私が初めて東京で就職した時、母ははるばる故郷から電車を乗り継いで、重い荷物をいくつも持って私の一人暮らしの部屋に訪ねてきた。

私がたまに故郷に帰る時は、どんなに夜遅くうちに着いてもたくさんの料理を作って待っていてくれた。

そして、東京にまた戻る時は、「また来るから」と私が言っても、その度にホームでハンカチで涙を拭っていた。

20代の半ばを過ぎた頃、私が東京での生活を引き払って故郷に帰ろうと思ったのは、故郷に母がいることが一つの大きな理由だった。

母は私が子供の頃からずっと学校へ行く時も、会社に出掛ける時も、朝必ず玄関から外へ出てきて家族を見送った。

ある時、私はそれをうっとうしいと思って、そのことを母に言ってしまったことがある。
でも、母は、「人生は『一期一会』なんだよ。ただ自分が後悔しないようにやってるだけだから」と言って、相変わらずどんな朝でもにこにこして家族の姿が見えなくなるまで玄関に立っていた。

今でもときどき朝うちを出る時に、雨の日でも雪の日でも毎日玄関に立って、笑って手を振って見送ってくれていた母の姿を思い出す。

その頃私は、どこか心の中でずっと、すべては当たり前にあって、すべては永遠に続いていくのだと思っていた。

でも、母は知っていた。
明日は誰にも約束されてなどいないのだということを。

もしかしたら、母は、これが最後になっても決して後悔しないように、自分のありったけの思いを込めて毎日家族を見送っていてくれたのかもしれない。

そして、もしかしたら、母は、その人生の中のどの瞬間にもきっと、ずっとそうやって生きてきたのかもしれない。

あれからもう5年以上経つのに、私は、今でも母の姿を探している自分に気づく時がある。

雨の日のたくさんの傘の中に。
晴れた日の青い空に浮かぶ雲の上に。
木漏れ日の射し込む林の中に。

駅の雑踏の中に。

母と同じくらいの年齢の女の人たちの中に。

ときどき今ここに母がいたら自分はどう見えているのか、どう思っているか考える。

母はいつもほほえんでいる。
いつも明るくやさしいまなざしで私を見ている。

(2009.10.23)

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