今までの人生を変えるために

それから私は、再び一人きりになった。

 

もう夜出掛けることも、人とのつき合いも一切やめてしまった。

仕事が終わると、毎日また自分の部屋にこもりきりになった。

 

すべてが振り出しに戻った気がした。

母が亡くなってから、自分は一体何をしてきたのだろう。

得たものなど何もなかった。

 

相変わらず母が亡くなったことに対する罪悪感で自分を激しく責め、父を執拗に憎み続けていた。

そんな中、他人に対する決して報われることのない努力にエネルギーを使い果たしてしまった。

挙げ句の果てに見下され、つけ込まれ、もう私は生きることすべてに消耗してしまった。

 

自分にとって、もはや生きることは徒労にすぎなかった。

あらゆる面で、私はすっかり行き詰まってしまっていた。

まさかこんなかたちで自分の人生が行き詰まるとは、昔は思いもしなかった。

 

幼い頃私は、人間は誰もがずっと幸せな人生を歩んでいくのだと信じていた。

自分の人生はずっと順調に進んでいくのだとばかり思っていた。

父も、母も、兄も家族はいつまでも仲良く幸せに暮らし、みんながずっと健康で長生きしていくのだと思っていた。

友達や周りの人たちに恵まれ、自分もいつかは新しいあたたかい家庭を作るのだと思っていた。

自分もやりたいことを存分にして生きていくのだと思っていた。

 

でも、そうではなかった。

いつしか運命の歯車が狂い出した。

あんなに明るく、愛情に満ちて健康だった母が亡くなり、気がつくと、残った私も、父も、兄も、家族みんなそれぞれがばらばらで、一人一人になっていた。

自分が友達だと思っていた人間たちにはつけ込まれ、利用された。

 

私には、もう自分の人生のことなど何も考えられなくなっていた。

生きる意味もへったくれもなかった。

人間なんて。

自分なんて。

 

私は、人生に絶望していた。

人間に、自分自身に、絶望していた。

その頃私は、運命というものを何度呪ったことだろう。

 

もう私は、その頃のすべてから抜け出したかった。

すべてが嫌になってしまった。

家での異常な生活も。

自分の周りのくだらない人間関係も。

自分の心の中で起こっていたことも。

何もかも。

 

このままでは、何も変わらなかった。

でも、もう変わらなければ、とても前を見て自分の人生を生きていくことは不可能だった。

ただ私には、決して死ねない理由だけがあった。

だとしたら、私は、もう自分の人生を変えるしかなかった。

人生を変えることにしか、自分のこれから生きていく道は残されていなかった。

でも、その頃の私には、一体どうしたらいいのかわからなかった。

そしてまた、時間だけが空しく過ぎていった。

 

そんな時のことだった。

母が亡くなってから1年半がたっていた。

ある日突然、その考えが浮かんだ。

それは、今までの自分にとって、想像もしなかった答えだった。

それは、すべてにおいて行き詰まり、もう死ぬことも、生きることもできなくなっていた自分がやっとつかんだ、たった一つの出口だった。

 

その答えに辿り着いた瞬間、自分の中で何かが震える気がした。

そして、自分の中でその時何かが動き出すのを、私ははっきりと感じていた。

 

20代の頃東京にいたこともある自分も、振り返ると、故郷に帰ってきてから20年近くになろうしていた。

父も若い頃一度故郷を離れたことがあっただけで、あとはここで50年以上暮らしていた。

しかし、もうここまで行き詰まってしまったら、この故郷を離れて、新しい土地でお互いに新しく人生をやり直すしかないのではないかと、その日私は思ったのだ。

 

もう故郷を捨てて、それまでのすべてを捨てて、新しい土地で自分の人生を白紙からやるしかないと、私は思った。

それは、それまでの住む所も、会社も、仕事も、地元の人間関係も、すべて捨てることを意味していた。

それしかもう状況を突破できないと、あの日私は強く思った。

 

それは、いきなり閃きとしてやってきた。

それは、今までの私が一度も思ったこともない考えだった。

 

今振り返ると、それは何かの導きだったような気がする。

長年住み慣れた故郷を捨てて、新しい地で人生をやり直そうと思ったあの日のことを、私はずっと忘れないだろう。

きっと私の人生は、あの日から変わり始めたのだ。

 

私が、そのための新しい土地として思い浮かんだのは、兄が住んでいる埼玉だった。

私は、自分が考えたことを正直に父に話した。

ずっと憎んでいた父だったが、最後の最後には置いていけない気がしたからだった。

 

でも、もし父がずっとここで暮らしていくつもりだったら、父を置いて一人でも行くつもりだった。

私は、その時それだけの決心をしていた。

しかし、意外なことに父は、自分も一緒にこの地を離れて兄の近くに移り住む、と言った。

 

私は、もちろん、新しい土地で同じように一つ屋根の下で父と一緒に暮らすつもりはなかった。

新しい土地で、お互い近い所に住めればいいと思っていた。

近所だけれど、それぞれが、それぞれの所で暮らすのだ。

 

そして、母と長年ずっと一緒に暮らしてきたこの家を売りに出すことにした。

そう決めて、不動産屋に依頼して広告を出したのが、9月のことだった。

すぐに2組が家を見に来て、10月にはこの家の次の住人が決まった。

私は、父と急いで埼玉まで出向いていった。

そこで、父の入居する老人ホームと、私の住むアパートを契約して帰ってきた。

 

不思議なことに、決意してからわずか1か月足らずのうちに、すべてが決まった。

人生が音を立てて変わり始めた気がした。

 

東京に住んでいた頃から20年もたっていたので、私には新しい土地には、兄の他には誰も知り合いがいなかった。

それでも、この頃の私には、たった一つだけ望みがあった。

 

私は、たまたまインターネットで、ある心理療法家の先生のホームページに辿り着いた。

その先生が開いている、セラピストの養成講座を受けようと思っていたのだ。

その講座は東京で開催されていて、埼玉からなら毎回通うことができるはずだった。

 

ホームページの中には、ある日その先生がストレスからうつ状態になり、交差点で衝動的に飛び込み自殺をしてしまいそうになったことが書かれてあった。

そのたった一つの文章が、それからの自分の人生を変えることになった。

私は、この人ならきっと自分のことをわかってくれるのではないか、と思った。

 

心理療法がどういうものなのか、その頃の私は、ほとんど何も知らなかった。

それでもその講座こそが、何もかもがんじがらめになっていた自分の人生を変えるための、たった一つの道であるような気がした。

そして、そこは、新しい地へ行こうと決めたその頃の私の、唯一の心の支えだった。

 

長野の家を引き払うのは、11月最後の日に決まった。

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