自分自身になるために、生きてきた。

人間はみんな一人一人違っている。
生まれてきた環境も違うし、考え方も、価値観も違う。
そして、人生の初期におけるスタートラインも一人一人違っている。

自分を十分認めてほしい、愛してほしいという子供時代の本能的な欲求がとっくに満たされている人もいれば、いまだに満たされず、大人になってからも、それをいろいろと歪んだかたちで他人に求め続けている人もいる。

自分のありのままに感じ、行動し、表現することが当たり前で何の抵抗もない人もいるし、他人との関係の中でしか、自分の価値を確認できない人もいる。

そして、私はといえば、少なくとも自分が自分でいることが当たり前というスタートラインから生きてきた人間ではなかった。
過去の私は、自分が本当は何が好きなのか嫌いなのかさえわからなかった。

子供時代から私が今までやってきたことは、相手が好きなことを必死で好きになろうとしてきたことであり、相手が嫌いなものを一生懸命嫌いになろうとしてきたことばかりではなかっただろうか。
そうやって他人に嫌われないために、他人に合わせようとあらゆる努力を意識的・無意識的に繰り返していくうちに、私は絶えず自分の感情を抑圧し、自分の感覚を麻痺させ、ついには自分自身をなくしていった。
自分が壊れていった。
それはまるで、いつも周りの様子を伺い、他人に合わせて機械的に反応するだけのロボットのようだった。

そして、私は子供時代を生き延びていくために自分自身が選んだ、そんな自分からいつも抜け出そうと、もがいて、もがいて、もがき続けた。
しかし、もがけばもがくほど、なおさら深く暗い蟻地獄の中へ落ち込んでいく毎日だった。
それは、未来永劫いつ果てることなく続いていくのだろうかと思った。

その絶望の中で、私はついには、自分の人生を、自分をあきらめてしまった。
あとはただ自分が消えてなくなることだけが唯一の望みとなってしまった。

数えきれない屈辱感と敗北感が横たわっていた、過去の人生。
孤独感と、焦燥感と、憎しみと、虚無に支配されていた、今までの自分の人生。

でも、不思議なことに今、そんな今までの人生が、今の自分をささえてくれていることに気づく瞬間がある。
私は、今まで自分自身になれなかったからこそ、今の自分が自分であることの、魂の震えるような喜びや感動を味わえるのだということに。
世界にたった一人の自分という人間としてこの世に生まれ、自分自身の感じ方や自分自身の考え方を持てるということの、かけがえのない素晴らしさに。
ただ自分としてこの世に存在しているということの、たとえようのない奇跡に。
きっと私の今までの人生は、自分が自分自身になっていくためのものだったのだろう。

そして、今までの人生は、過去は、今この瞬間のためにあるということも。
さらにそんな過去の一つ一つが、今この瞬間の深みを増し、ただのマイナスと思っていた過去が自分の中で輝けるマイナスといえるものに変わっていることに。

(2009年9月25日)

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