もう一つの問題

私は、相変わらず父と同じ一つの家の中で一切顔を合わせない、別々の生活を続けていた。

その頃家の外で、もう一つの問題があった。

 

母が亡くなったその年も、秋に差し掛かる頃だった。

今までは単なる知り合いに過ぎなかった人間とのつき合いが多くなった。

夜になる度に、私は頻繁に出掛けるようになっていった。

 

いつも夜の街でおもしろおかしく過ごようになった。

私は、これからの自分の人生についてまともに考えることもしなかった。

自分に向き合うこともせず、現実から目をそらし続けた。

 

飲んで騒いでいる間は、辛い過去も、孤独な生活もすべて忘れられる気がした。

もう辛いことはすべて終わり、人生は楽しいものだと私は、懸命に思い込もうとしていた。

でも、本当は寂しかっただけだった。

束の間のどんちゃん騒ぎで気を紛らわせていただけだったのだ。

 

本当は寂しくて寂しくていられなかった。

おもしろおかしい場所にずっといたかった。

誰かに必死ですがりつきたくて仕方がなかっただけだった。

 

母ももう家にはいなかった。

憎むべき父が一緒にいると思うだけで気が滅入る家にはいたくもなかった。

自分の部屋には帰りたくなかった。

一人きりになると決まって死にたくなるからだった。

 

私はその頃、自分一人では心の中にぽっかりとできた孤独の深い穴を埋めることができなかった。

しかし、今振り返ると不幸なことにその頃の私の周りには、ありのままの私を受け入れてくれる人間がいなかった。

利害もなしに相談に乗ってくれる人間も、対等でお互いを認め合えるような人間も誰一人いなかった。

上辺だけのつき合いの人間しかいなかった。

それなのに私はそんな人間たちを唯一自分を理解してくれている本当の友人だと思い込んでいた。

 

その一人からある夜遅く電話がかかってきたことがあった。

今自分の友達と一緒だけど、これから飲みに出てこないかと言ってきた。

かなり遅い時間だったが、私は即座に行くと答えた。

そして、急いでよそゆきの服に着替えるため電話を切ろうとした。

その瞬間、彼が他の人間たちに話している声が聞こえた。

「こいつは誘うとすぐ来る。数合わせにちょうどいい」

 

私は、そういう人間でも本当の友人だと思い込んでいた。

そして、今では全く信じられないことだが、すぐにそんなはずはない、彼は私が孤独でいるのをわざわざ誘ってくれたのだと、自分で自分を納得させていた。

 

繁華街に着くと、彼のこれから入ろうとしている店に連れていかれた。

ちょうど私が一人入ったことで人数が揃い料金が安くなった。

その事実にも私は、目をそむけたままだった。

 

彼はアパレル業界の、服を卸す会社で働いていた。

ある時彼がジャケットを買わないかと言ってきた。

値段はいくらなのか聞いた。

本当はジャケットはすでに何着も持っていて買わなくてよかった。

しかし、その時私は断れなかった。

嫌われるのがこわかったからだ。

 

展示会に行くと、たくさんのジャケットが並んで吊るしてあった。

それにも関わらず彼は私のためにと一着のジャケットを出してきた。

値段を聞いた。

最初彼が持ちかけてきた値段は3万円くらいだったが、その倍になっていた。

 

頭の中では話が違うと思った。

抗議したいと思った。

しかし、私は彼に大袈裟に感謝していた。

気がつくと、にこにこしてお金を払っていた。

すると、彼はさらにもっと値段の高いスーツの上下まで売りつけようとしてきた。

さすがに、それは断った。

 

その頃私が友人と信じて疑わなかった人間というのは、こういう人間達だったのだ。

またその当時つき合っていた別の人間が、私の車を運転したことがあった。

彼は誤って車をバックさせた。

駐車場の壁に激突した車の後部は大破した。

それなのに壊れた車を板金屋に持っていったのは、私だった。

 

車が修理し終えるのに、一ヶ月くらいかかった。

それまで彼からは、謝罪はおろか、連絡が来たことは一度もなかった。

 

私が修理代を請求する電話をかけた時の彼の言葉は忘れられない。

「何でおれが払わなきゃいけないんだ!」

開口一番そう言ったのだ。

そして、開き直ってあれこれを言ってきた。

「今おれには、金がない」

「おまえも、助手席に乗っていただろう」

「おまえも、そんなにお金はかからないように見えると言ってたじゃないか」

 

修理に出すと、バンパーをそっくり取り替えなければならなかった。

昼間明るい所で見ると、いろいろな所がへこんでいた。

塗装代もかかった。

想像以上の代金になったと、私は彼に言った。

結局私は、彼と修理代を半分ずつ払うことになった。

 

私は思った。

自分がもし彼の立場だったらどうだろうかと。

友人の車を運転していてぶつけたとしたら修理に出している間、何の連絡もしないだろうか。

開き直って「何でおれが払わなければならないんだ!」などと、言うだろうか。

ましていろいろな理由を付けて払わないで済まそうなどと、考えるだろうか。

 

服を売りつけてきた人間についてもそうだ。

自分が同じ立場だったら、友人に服を高く売りつけておいて、さらに吹っ掛けるような真似をするはずもなかった。

 

要するに彼らは私のことを、決して友人だなどとは思っていなかったのだろう。

そればかりか、その頃の私は、周りにとって都合のいい人間としてしか見られていなかった。

弱く寂しかったその頃の私は、軽く扱われていた。

周りの人間から、いつも低く見られていた。

対等と言えるつき合いはまるでなかった。

私は、舐められていたのだ。

 

私はそういう人間たちを、なぜ本当の友人だなどと本気で信じてしまっていたのだろうか。

またこんなこともあった。

その女性は大手の保険会社に勤めていた。

彼女とは昔からの知り合いで、友人として集まりがある時にはお互いに顔を合わせる間柄でもあった。

 

ある日彼女から電話がかかってきた。

自分の仕事のノルマを達成したいから何か一つ保険に入ってくれと言う。

会って話を聞くと、3か月でいいから何かの保険に入ってくれないかと頼み込まれた。

 

彼女は母の葬儀に来てくれた人だった。

だから、余計に断りにくかった。

それにその頃の私は、人から頼まれるとなかなか断れない人間だった。

なぜかは、まだその頃の私にはわからなかった。

 

その頃の私の中には決まって、自分の気持ちよりも相手の要求を無意識に優先させてしまう何かがあった。

相手の要求を受け入れることが、相手を失望させないことだと思い込んでいた。

自分を犠牲にしてでも。

 

私は、相手の失望した声を、聞きたくなかった。

相手の失望した顔を、見たくなかった。

相手を失望させることは、罪なことだとさえ感じていた。

 

またそうしてしまえば、その相手との関係は終わってしまう。

とにかくどんな希薄な友情だろうと、孤独な自分にはそれが切れることが耐えられなかった。

 

今なら思う。

そんなことで終わる関係なら、できるだけ早いうちに終わらせてしまった方がいいと。

でも、当時の自分は全く気がついていなかった。

 

とにかくたったそれだけのことで、自分には全く必要のない保険の契約をしてしまった。

 

3か月が過ぎた頃、私は解約したいと電話で彼女に伝えた。

しかし、その時彼女は言った。

「今解約されたら私の利益がまだ出ないので、もう少し続けてみて」

 

それは、最初の約束と違うおかしな話だった。

そこには彼女の都合だけしかなかった。

こっちが抗議したっておかしくない状況だ。

それなのに、その時の自分は、彼女の説得に難なく屈して抗議することもなく、そのまま保険を続けることになった。

私は、自分に必要もない保険料を、さらに払い続けることになった。

 

その保険の契約もとうとう10か月になろうとしていたある日、今度こそはっきりと解約しようと私は決心した。

親切心で払い続けるには、さすがの私にも限界だった。

しかし、お人好しだった私は、今の保険を解約する代わりに自動車の強制保険だけでも、今までの他の保険屋から彼女に代えてあげようとさえ考えていた。

 

はっきりと解約したい、と電話をかけた時の彼女の言葉も忘れられない。

「契約して13か月たたないうちに解約されたら、私ペナルティーを会社に払わなければならなくなるじゃないの!」

「それにそんな自動車保険に入ってくれたって、まだペナルティーの方が多いんだから!」

そう罵って電話を切ったのだ。

 

話が違うじゃないか、と思った。

3か月で解約してもいいと言ったじゃないか。

私は、ただ友人として助けてやろうと思っただけだ。

困って頼み込んできたから、かわいそうに思って協力してあげた。

むしろ感謝されるべきだろう。

それなのに、なぜここまで言われなければならないのかと思った。

 

結局こっちが友人と思っていても、彼女はただ自分が会社から被るペナルティーのことしか頭になかった。

なぜ私が、私の保険を解約する自由さえ彼女は認めないのだろう。

お金を払い続けているのはこっちなのに。

 

それでも、私が実際に解約したのは、その保険に入って13か月が過ぎるのを待ってあげてからだった。

13か月がやっと過ぎて、直接保険会社に契約書を持って解約に行った時に、受付で言われた。

「あ、その担当の人は去年の12月で会社をやめましたよ」

 

その12月というのは、私が解約したい旨の電話を彼女に2度目にした月だった。

その女性は、契約している私に連絡もしないで、とっくにその会社をやめていたのだ。

私はそれも知らずに、それから4か月もその保険の支払いを無駄に続けていたということになる。

 

結局その人間に振り回され、13か月も無駄に払い続けた保険料の総額は10万円以上になった。

その頃の私には、そういう出来事が他にもいろいろ起きていた。

 

しかし、それはまだ自分にとっては、遥か昔から繰り返し起きていた多くの似たような出来事の一部にしか過ぎなかった。

枚挙にいとまがないほどだ。

 

私を見下し、蔑む人間は、昔からいつでもどこにでも存在していた。

私は、つけ込まれ、軽く扱われ、利用された。

酷いところでいえば、いじめを受けたり、警察に相談するような詐欺の被害にさえ遭ってきた。

 

その度に私は、傷ついてきた。

というより、私自身が初めから深く傷ついていたのだ。

だからこそ、そういう人間たちが自分の周りには特別に集まりやすかったのだと、今では思っている。

 

それは私自身が変わらなかったために、ずっと解決しないできた、長年の問題だった。

そして、またそういう出来事が、その頃一気に私の身に起きていたのだった。

 

その頃の私は、寂しさのかたまりだった。

そして、心の中にあったその深い寂しさのために、誰にでもすがりつこうとしていた。

私は、寂しさの正体だった、自分の心の中にあった、愛情に対する根強い飢餓感を、誰でもいいから埋めてもらいたかったのだ。

だから、その頃友人と思い込んでいた人間たちは、不幸なことに、実は大抵がそれにつけ込んでくる利己的でずるくたくましい人間たちばかりだったということにさえ、私は気づくことができなかった。

 

また、ずるい人間は、弱い人間を嗅ぎ分けるのが巧みだった。

彼らに共通していたのは、私のように、他人に嫌われないように自分を犠牲にして相手に迎合していくような人間につけ込み、自分の利益のために都合のいいように、それを利用するところだった。

 

あるいは、心の中で見下したり、軽く扱うこと自体が彼らの目的であったりもした。

そうすることで、彼らは少しでも人より自分が優位にいる気分を味わえるからだった。

心の中に隠している底知れぬ劣等感を、そうすることで果たしていた。

 

彼らは一人でいる時には、自分自身の中に力を感じることができない。

絶えず人間関係の中で自分が人より優位であると感じる時にしか、自分の価値を確認することができない人間たちだった。

弱い人間を見下し、弱さにつけ込み、自分に都合よく利用することでしか、それを感じることができなかった。

 

彼らには、自分のことを抑圧し相手の要求に逆らえないような、弱い人間が必要だった。

要するに、彼らも弱い人間と同じように深く傷ついていて、癒されていない人間なのだ。

 

ただずるい人間が弱い人間と決定的に違うのは、その傷を癒そうとする方法だった。

彼らはNOと言えない、自己主張できないような弱い人間につけ込み、それを徹底的に利用してきた。

 

誇り高い人間だったら、そんなことするものか。

うちでは同じ家にいながら、父と顔を合わせない孤独な生活を過ごし、外では友人と思い込んでいた人間たちに見下され、つけ込まれてきた。

 

もしその頃、ありのままの私を受け入れてくれる人間や、対等でお互いを認め合える人達にもっと多く出会っていたら、きっと私は、ずっと早く立ち直っていたかもしれない。

きっとその頃も自分の周りをよく見渡してみると、そういうまともな人達もたくさんいたはずだった。

 

しかし、なぜかその頃の私は、いつも自分を見下しつけ込んでくるような人間ばかりを引きつけてしまっていた。

また、そういう人間は向こうからも寄ってきた。

 

利己的でずるくてたくましい人間と、弱くて迎合的な人間は、例えてみると、まさに鍵と鍵穴だった。

それは、いつでもどこでもぴたりと合ってしまう関係だった。

片方は他人に優越しようとし、片方は他人に卑屈に迎合していく。

それによって、ずるい人間が得るものは、他人を踏み台にした自分の利益であり、

弱い人間が得るものは、保護されるという、ただの幻想に過ぎない安心感だった。

 

私は、その頃立て続けにそういう目に遭うまで、この世の中に他人の弱さや寂しさにつけ込んでくる人間がいるのだということを、本当にはわかっていなかった気がする。

昔からずっとそういう目に遭っていながら、他人が見えていなかった。

それは、自分という人間が、自分自身には全く見えていなかったからでもあった。

人間は、自分を知ることで、初めて他人を知ることができるからだ。

 

その頃までの私は、そういう、利己的でずるい人間とばかり関わりを持ってしまっていた。

その結果、友人だと思い込んでいた人間たちに、ことごとく裏切られることになった。

そういう人間は、もともとそういう人間だったのだ。

 

私は、あまりにも弱かった。

私は、他人に言いたいことも満足に言えなかった。

余程のことでないと、抗議一つできない人間だった。

いつも他人にいい顔ばかりしていた。

嫌な顔一つできなかった。

いつも自分を殺し、他人に合わせてばかりいた。

私は、なぜいつもそういう人間たちにつけ込まれ、利用されるだけの寂しくて弱い存在になり下がってしまったのだろうか。

 

私の心の奥には、ずっと恐怖というものがあった。

自分という存在は、結局は世の中に見捨てられるのではないか、という恐怖がいつも付きまとっていた。

そのためなのではないだろうか。

 

私の中には、ずっと昔から人間に対する恐怖というものが染み付いていた。

私は人間がこわかった。

対人関係というものが全くわからなかった。

まだひきこもりという言葉もないような時代に、何年もひきこもりをした。

 

私は心の底で深く傷ついていた。

初めから傷ついたままだった。

心の底に恐怖がまるで埋め込まれていたかのように、ずっと存在していた。

 

そんな深く傷ついていた自分が選び続けてきた他人との関わり方が、迎合することだった。

そして、世の中にはそういう、弱く傷ついている人間につけ込む人間もまた、同時に存在していた。

 

それまでの私の人生の多くは屈辱にまみれていた。

私は昔から思っていた。

せっかくこの世に生まれてきたのに、なぜ私はこんなに惨めな思いをしてきたのだろうか、と。

 

私は、今まで他人に嫌われないように頑張ってきた。

その時その時の感情を抑え、他人に迎合することで相手の好意を得ようとしてきた。

その結果他人に振り回され、つけ込まれ、利用されてきてしまった。

 

その度に私は、自分を責め続けた。

私は、自分の実際の感情を表に出すことができなかった。

他人に真っ正面から自分の意見を主張することもできなかった。

 

私には、自分というものがなかった。

他人の好意という、幻想にしがみついていただけだった。

そして、その幻想がくずれる度に、今度は自分の中に恨みと憎しみを長い間持ち続けることになった。

 

自分への誇りを忘れて惨めに生きてしまうと、どこまでいってもきりがなかった。

そして、ずっとそういう惨めな人生にしてきたのはあの頃の、他ならぬ自分自身だったのだ。

屈辱を味わう度に、自分を情けなく惨めに感じる度に、私はよく思ったものだ。

自分は神様の最大の失敗作なのではないだろうか、と。

 

私の中に、絶えず自分をそうなるように仕向けてきた、もう一つの心の闇があった。

しかし、その頃の私はまだ、自分の中のそれとまともに向き合うことができなかった。

 

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