置き去りにしてきた過去

1 自分を殺した子供の頃

私は長い間、ずっと父親のことを憎み、恨んできた。

まだ子供の頃、私は夕方になるとよく母のそばにくっついて、母が一生懸命夕食をつくるのを見ているのが好きだった。
でも夜、父がうちに帰ってくる時間になると、私は不安で怯えた。

父の帰ってくる足音はすぐにわかる。
私は台所から離れて、別の部屋に閉じこもる。
母に呼ばれて渋々台所に行くと、父は毎日のように酒を飲んでいた。

父は、大抵疲れて不機嫌な顔をしていた。
それでも、いつでも私は明るい顔をして「お帰りなさい」と言わなければならなかった。
そうしなければ、父がまた暴れるための口実を私がつくってしまうからだ。

それでも、それはほとんどが無駄に終わった。
父は会社で嫌なことがあったか、家族から疎外感を受けたと感じるか、少しでも自分の価値が傷つけられたと一方的に感じるかすると暴れだすのだ。
それも、母のちょっとした言葉や仕草だったり、子供の頃の私のわずかな表情や態度がいつもその引き金になった。

父の暴れ方はかなり陰湿なもので、子供を直接殴ることはしない。
目の前のテーブルに並べられた母がそれまで手間をかけてつくった料理を、私たちの目の前で皿ごと手で掴んだかと思うと、一枚一枚流しに向かって力任せに思い切り投げ込んでいくのだ。
ガッチャーン!、ガッチャーン!・・・と凄まじい音をたてて皿は粉々に割れ、料理が四方八方に飛び散る。

そんな父を力ずくで止められる者は誰もいない。
母は泣き、子供の私は恐怖に凍りついた。

特に私が父の暴れる口実をつくってしまった時はとても辛かった。
「何だ、その顔は・・・!」
私が父にとって面白くない表情をしただけで、母の手料理が生贄になった。
きっと私が誰にも愛想笑いを浮かべ相手の感情を探ることばかりが唯一の重要なことになり、自分はありのままの自分になってはいけない、自分の感情も感覚も決して感じてはいけないと決めたのもその頃だったのだろう。

そして、大抵はそれだけでは終わらない。
父は泣き喚く私を台所の床板を外し、漬け物などを保存するために地下にある狭くて暗い室の中に押し込め、板をかぶせ重しを載せて閉じ込めた。
そして、私がその中でどんなに泣き叫んでも、開けてもらえることはなかった。
父が寝てしばらくたって、やっと母がその板を外してくれるまでは。
そんな母も、父に夜中までしつこくからまれ責め続けられるからだった。

そんな日々を繰り返すうち私は、絶えず自分自身を偽り、父に合わせて演技するようになった。
父がうちにいるだけでいつも私は責められている気がした。

父には、子供の甘えを受け入れる能力がなかった。
それよりも父自身が低い自己評価に苦しんでいて、私や母が反対に父の歪んだ甘えのかたちを満たす役割にさせられていたのである。
親と子供の役割が逆転していた。
つまり私が父のお守りをする親にならなければならなかったのだ。

父も子供の頃親に十分甘えさせてもらってこなかったのだろう。
十分甘えさせてもらった経験のない人は、人も甘えさせてあげられない。
父は自分の心の葛藤を家族にぶつけて解消しようとしていた。

父は子供の頃甘えの欲求を十分に満たされてこなかったために、無意識では誰かに甘えたくてたまらなかった。
でも、父は父親であり大人であることを常に要求されていて、意識ではそのことを絶対に認められなかった。
しかし、無意識にあったその甘えの要求は激しく、意識と無意識の対立の中絶えず緊張と不安にさいなまれ、そういうかたちとして家族に当たるしかなかった。

そして、親と子が逆転したことで、今度は子供の私が自分自身の甘えの欲求を封じられ、無意識に父への憎しみと敵意を抑圧したまま生きていかなければならなくなった。
その結果、幼い日の自分の感じ方を大人になっても他人に対して投影することになった。

そして、父への憎しみがやがて意識化されてからも、父に対する心の葛藤は実に40年以上続いた。

2 たどり着いた今

しかし、今、父への憎しみは全くといいほど感じられなくなった。
長い年月がかかったけれど、私はやっとその頃の父を許せた気がする。

父はかわいそうだった。
父は十何番目かの子供として大家族に生まれた。
そして、父の家は近所に住んでいる心を病んだ人によって三回も放火されその度に全焼し、極度の貧乏になり、学校に行くどころか小さい頃から働きに行かせられた。
さらに、その父親があるだけのお金をすべて酒に注ぎ込むような人で、いつまでたっても父の家は貧乏のままだった。
父はほとんど親に甘えたことも、認めてもらったこともなかったのだろう。

父は親から何の財産ももらったわけでもなく、母と一緒になって高い土地に一軒家を建てた。
そして、その家のローンを払い続け、家族を養うために夜遅くなるまでへとへとになるまで働いた。
朝から夕方までと、夕方から夜遅くなるまで二箇所で働いていたこともある。
父は親に甘えた記憶がほとんどないばかりか、貧乏な子供時代に他人から蔑まれた経験と自分の学歴の低かったことが根強く劣等感としてあった。
だから、父が生きるのをささえてきたのは、世間への憎しみと敵意だったのかもしれない。

そんな父でもいきなり子供にたくさんのおもちゃや、読みきれないほどの本を買ってきてくれた。
私が幼稚園に通う時、いつも自転車やバイクの後ろに乗せていってくれた。
その時の父の後ろで風を切っていく時の爽快な感じが今も記憶に鮮明に残っている。
それは不器用なものだったかもしれないけれど、それでもそれは、こういう父の子供への精一杯の愛情ではなかっただろうか。
そして、こういう父がいなければ、今の私は存在していない。

今私は思う。
父と私は、実は直接関係なかったのだと。
父は父自身への加害者であると同時に、自分自身からの被害者であり、私も自分自身への加害者であると同時に、自分自身からの被害者だったのだ。
人間は自分自身を直接傷つけることができるのは、自分自身しかいない。
お互いに自分自身を苦しめ、自分で自分を生き辛くさせていただけなのだと。

今思うとこの長かった経験は、私にたくさんのことを教えてくれた。
人間はどうして生き辛くなっていくのかとか、どうして不幸になっていくのかを。

そうであるなら、きっと私は、今この経験から汲み取れるものはたくさんある。
どうしたら人は自分を愛し前向きにいきいきと生きていくことができるのかとか、どうしたら人は幸せに生きていけるのかとかを。
だから、それは人として、カウンセラーとして実は得難い経験だったのではないかと今は思っている。

父には、この前久し振りに電話をした。
今父は老人ホームにいて、周りに友達や仲間がいてとても元気そうだった。
反対に私の心配をしてくれた。

やっと今、自分の過去の一つを許せる気がする。
私は今、自分が置き去りにしたままの過去の一つ一つに現在の自分から架け橋を架けようとしている。
今の自分なら、過去苦しんできた自分に対してその時の出来事の捉え方や解釈を変えてあげられる気がする。

そして、置き去りにしてきた過去の一つ一つに架け橋を架けてあげるたびに、不思議なことに今の自分の中に力が芽生えつつある気がする。
それは、もとからあった自分自身が次第に蘇ってくる感じだ。
きっといままで自分の中で分裂していたものが統合されて一緒になり、さらに大きな力となっていくからだと思う。

そして、それがきっと人間が成長していくということなのだろう。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です