母が亡くなった理由

1 母が亡くなった理由は、私と父との葛藤にあった

大きな手術を乗り越え、長い闘病と度重なる入退院を繰り返してきた母は、最後に退院してから10日後に亡くなった。

 

医者から、もうこれで大丈夫ですと太鼓判まで押されていたのにもかかわらず、母が突然亡くなっていった過去を、私はそれから何年もずっと引きずって生きてきた。

それは、母を死まで追い詰めてしまったのは、実は自分と父なのではないかという罪悪感が、日夜心の中で私を責め続けていたからだった。

 

母がうちに帰ってきてから間もなくのことだった。

大晦日に退院した母はまだ寝たきりの体で、手助けしてあげないとほとんど起き上がることができないでいた。

 

新しい年が明けてまだ数日しかたっていなかった。

世間は正月だった。

その頃母はもちろん、私も父も、その介護のためにかなりの肉体的・精神的疲労がたまっていた。

私達家族は、一人一人みんな心底疲れきっていた。

 

そして、あの日、疲れは人間を壊していくということを、私は知ることになった。

すべては私の一言から始まったのだ。

 

その時私は、ベッドで寝たままの母に食事を食べさせてあげたり、水を飲ませてあげていた。

それから、母の体を拭いて、着替えを手伝った。

 

父は居間で兄と酒を飲んでいた。

それを見た私は、その時、そのことがどうしても許せない気持ちになった。

母の体の向きを変える時に私は、手伝ってくれるよう2人を呼んだ。

 

父が来た。

私が母の上半身を抱きかかえ、父が母の足を持った。

その時私は、父にあれこれと指示した。

確かこれ以上ないくらいきつい命令口調だったと思う。

 

少し酔っぱらっていた父は、お前の言い方は何だとかあれこれ言い出した。

そして、私と父は、母の前でつまらない言い争いを始めた。

 

激昂した父は、いきなり台所へ飛んでいき、包丁を取り出そうとした。

お前を殺してやると、叫びながら。

私は、それを止めようとして父と揉み合いになった。

私は、母のいる隣の部屋で父の上に馬乗りになった。

父の体を両腕で力一杯押さえつけた。

 

父は動けない体勢でも、まだ私を罵っていた。

それでも私は、ありったけの力で押さえつけていた両腕をずっと緩めなかった。

その時私と父とのその争いを、隣の部屋で母が聞いていた。

 

私がやっと父を解放すると、父はどこかへふらりと出て行った。

そして、何時間か後に帰ってくると、父はこう言い出した。

今おれは不動産屋に行ってきたから、このうちを売ってこれからは母と二人だけで施設に住むと。

 

その頃の母は決して施設には入りたくはなかったのだと、私は思っている。

母はずっと自分の気に入っているこのうちで暮らしたかったのだ。

しかし、当時の父のしつこく相手に絡み付く性格からすると、もしかしたらそれから私が家にいない時には毎日のように、あいつはどうでもいいからこのうちを売って二人だけで施設に移ろうと、母に絡んでいた気がする。

 

その争いから2、3日経った頃、母が体のあちこちに痛みを訴えだした。

そして、数日後に母は苦しんで亡くなっていった。

母が急に体の痛みを訴えだしてその何日か後に亡くなった理由として考えられることは、この時の争いのせいとしか私には思えなかった。

 

その時の私と父との争いが母を追い詰めてしまったのかもしれなかった。

私の父への一言から始まった二人の争いこそが、結果的に母を殺してしまったのかもしれなかった。

もしかしたら、私がその引き金を引いて、父が希望を打ち砕いてしまったのかもしれない、と思った。

 

母は、私と父との長年の確執をずっと心配していた。

しかし、この時母はもう私と父とのことを、すっかり諦めてしまったのかもしれない。

いつまでも和解できない、変わっていかない二人のせいで、生きる希望をなくしてしまったのかもしれない。

もしそうなら、私と父こそ母の殺人者だった。

 

家の中が私と父の2人だけになると、私の父への新たな憎しみと母が亡くなったことに対する罪悪感に、心が次第に苛まれていった。

2 憎しみと罪悪感の狭間で

朝、仕事に出掛ける。

夜家に帰ると、すぐに母がいた部屋に直行する。

襖を閉め切って母の仏壇の前に座る。

お経を唱え続ける。

 

部屋の三方にある襖と障子と真っ白い壁が、私を取り囲んでいる。

自分のお経を唱える声と隣の部屋で時折父が見ているテレビの音が聞こえるだけだった。

たまに父と顔を合わせても、もう何の会話もない。

そんな毎日が過ぎていくうちに、父と顔を合わせることを次第に避けるようになっていった。

 

この頃の私にとって、母を亡くした喪失感には凄まじいものがあった。

母は、家族のために言葉に尽くせない苦労をしてきた。

手術をしてからの、その痛みや辛さは計り知れなかった。

最期には壮絶な苦しみを経て、亡くなっていった。

 

母は、私を産んだ時C型肝炎に感染した。

そして、最後には私と父が、母を追い詰め、死へと追い込んでしまったのかもしれない。

そのすべてのことが、その頃の私に重く重くのしかかっていた。

そして、私は、二重、三重に自分自身を苦しめていった。

 

どこにも救いがなかった。

自分自身がこの先生きていく意味など何も感じられなかった。

その頃の私は、自分が母を死に追いやってしまったのだという罪悪感と、自分と同じように母と家族を長年苦労させ、追い詰めていったと思い込んでいた父に対する憎しみしかなかった。

 

その頃の自分の心の中では四六時中声が聞こえていた。

おまえがおふくろを追い詰めたんだ。

おまえが産まれてきたからおふくろは死んだ。

おまえさえ産まれてこなければ・・・。

おまえはおふくろを殺した、殺した、殺した・・・と。

 

そして、もう一つの声がした。

おまえの親父がおれたちを追い詰めてきたんだ。

おふくろが亡くなる前に、おれとのことでおふくろにしつこく絡み続けたあいつがおふくろを追い詰めたんだ。

おまえのおふくろを殺したのはあいつだ、あいつだ、あいつだ・・・と。

 

その時の私には、この先もう自分が死ぬか、父を殺すしか考えられなくなっていた。

でも、自分が死ぬことはどうしてもできなかった。

自ら死を選ぶことはできなかった。

ここで私が死ねば母が命がけで私を産んでくれたことも、あらゆる苦労をして一生懸命私を育ててくれたことも、母のすべても、それこそ否定することになるからだった。

母のやってきたことのすべてを、そして、母の人生そのものを全く意味のないものにしてしまうからだった。

そして、母は絶対にそんなことは望んでいるはずもなかった。

 

父を殺したいと思うこともしょっちゅうあった。

でも、それも決して母が望まないことだった。

 

私はますます自分自身に追い詰められていった。

3 異常な生活

私は、自分もそうだが、父こそが母を追い詰め、殺した張本人だと思っていた。

だから、その頃の私は、憎むべき父と顔を合わせるのが苦痛でたまらなかった。

 

同じ家の中で父は1階で生活していて、私の部屋は2階にあった。

居間も、台所も、トイレも、母の仏壇のある部屋も1階だった。

 

その頃私は、2階の部屋に炊飯器、冷蔵庫、トースター、お湯を沸かすための電動ポットといったものや、包丁、まな板といった調理器具や、食器を揃えた。

そして、米や乾物、缶詰などの食料品を用意して、2階の部屋で食事を作り始めた。

父と一切顔を合わせないために、食事も生活も別々にした。

 

物音もなく、父がいる気配のない時に、トイレに行った。

父が寝た後に、風呂に入った。

母の冥福を祈り、お経を唱える時も2階の自分の部屋で唱えることにした。

そんなふうにして、私は父と顔を合わせることを徹底的に避けるようになった。

 

同じ家に暮らす家族でありながら、1階と2階で全く別々でほとんど顔を合わせることのない生活は、それから2年近くも続いた。

 

今振り返ると、親子として同じ一つの家にいながら、それは、それぞれが一人きりのとても寂しく悲しい生活だった。

そして、それはどこまでも孤独で異常な生活だったと思う。

 

しかし、その頃の私は、父への憎しみと自分への罪悪感の間で引き裂かれそうになっていたのだった。

それは、感情に支配されてしまった人間のなれの果ての姿だった。

 

その頃の自分はきっと壊れていたのだ。

4 心の闇

私が産まれたために母は死んだ。

私と父は、長年に渡りずっといがみ合い、争い続けた。

そして、そのせいで私と父が、愛する母を死に追いやってしまったとしたら、こんな人生に一体何の意味があるのだろう。

 

何もない。

苦しみしかなかった。

罪しかなかった。

そして、他者への憎しみしかなかった。

 

その時私は、もうこんな人生はこりごりだと思った。

人間なんてもうこりごりだと思った。

死にたかった。

でも、死ねなかった。

ここで自分が死ねば、母が自分を何十年も必死で育ててくれたことも、生きていくことを自分に託して亡くなっていった意味も、母自身が生きてきた意味も、すべてなくなってしまう。

それだけはできなかった。

だから、死ねなかった。

 

私は死にたくても死ねない。

だから、もう音もなく消えたかった。

跡形もなく消え去りたかった。

 

自分なんてぶっ壊れろ、と思った。

自分の人生なんてぶっ壊れてしまえ、と思った。

そして、そのまま自分のすべてがこの世から、この宇宙から一片も残さずに消え去ることしか、もう望みはなかった。

その時の私は、もしそれで自分がこの世から跡形もなく消えても本望だっただろう。

その時私は、私自身を闇の中へと追い詰めていた。

 

その頃の私の記憶には、ただ自分の部屋の白い壁の、その白さだけが強くある。

毎日毎晩ただ白い壁を見ていた。

見ているうちに、その真っ白い色の中に、ただ自分が吸い込まれていく気がした。

 

わからなかった。

自分がこの世に本当に生きていていいのか。

どうすればいいのか。

 

すべてのものに何の意味もなかった。

自分にさえも。

 

自分はきっとその時、虚無というものの真っただ中にいたのだ。

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