過去のすべては、今この瞬間の自分を輝かせるためにある。

1 気がつくと私は、あの頃の父と自分を許していた

いつの間にか私は、あの頃の父のことを許していた。

そして同時に、あの頃の自分のこともまた、許していることに気がついた。

 

それは私にとって、あまりにも意外なことだった。

あの頃殺意すら抱くほど憎んでいた父のことを許すことなど、当時の自分には全く想像もできないことだった。

 

私は、父が母を追い詰め、そのせいで母は死んだのだと、ずっと思い続けて生きてきた。

母が亡くなったのは、もとはといえば、あの日の私と父との争いに、母を巻き込んだからだった。

だから、私もまた、自分自身こそが母を追い詰め、殺したのだと、今までずっと自分を責め続けていた。

 

母が亡くなったのは、私がこの世に産まれた時の輸血が原因だった。

そして、私と父との長年の確執と、あの日の2人の争いが、最後に母を追い詰めたのかもしれなかった。

 

私こそ、自分の母を一度ならず、二度も死へと追い詰めた張本人なのかもしれなかった。

もしこの世に罪というものがあるならば、私こそ決して許されない人間のはずだった。

 

私はずっと、父のことを許せなかった。

そして、自分のこともまた、決して許すことができなかった。

そのまま、長い年月が通り過ぎていった。

 

その間に、自分を取り巻く環境は著しいほどに変わっていった。

暮らす所も、つき合う人たちも残らず変わっていった。

しかし、それでもずっと変わらなかったものが、私の中にはあった。

それが、自分自身が過去からずっと引きずってきた思いだった。

 

それでも、長い時間が経ったからだろうか。

私はやっと今、当時を振り返ることができるようになった。

そうなって初めて気づくことがあった。

 

私は、故郷を出て、こちらに来てから、たくさんのことを学んだ。

そのほとんどは、人間の「心」というものだった。

私は、ずっと昔から、人間の心というものを知りたかった。

私は、自分と他人の心に、気の遠くなるほどの長い間、ただ翻弄されてきてしまった。

だからこそ私は、人間の心について知りたかった。

 

心はずっと、喜びも、悲しみも生み出してきた。

愛も、憎しみも生み出してきた。

そして、幸せも、不幸も生み出してきた。

この不可思議な人間の「心」というものこそが、ずっと昔から自分にとって、自分の人生にとって最大のテーマだったのだ。

 

そして、多くのことを学ぶにつれて、私は、次第に人の心の奥深いところにあるものに意識を向けるようになっていった。

 

昔の私は、いつも人間の表面だけしか見ていなかった。

だからこそ、たとえば周りの人間の心の中にある狡さや、自分に向けられた悪意というものさえ見抜けずに、その人間の表面の奇麗事の言葉だけを信じてきてしまった。

また反対に、自分に対して善意を持っていてくれる大切な人たちの存在にすら、気づくこともできなかった。

さらに私自身もまた、自分をごまかしていた時には、決して自分自身を知ることはできなかった。

 

そんな経験からだろうか。

さらに、セラピストという仕事を選んだからなおさらなのだろうか。

いつの間にかその人間の表面だけではなく、その心の奥を、心のずっと深いところのあるその人間の本質を、目に見えない真実の部分を絶えず見抜こうとしている自分がいた。

 

ある時、私は、自分がそれまで培ってきたその同じ視線を、あの頃の父と自分に向けていた。

そして、あの時の父と自分の、心の奥にあったものに、私は今になってやっと気づくことができた気がした。

2 唯一の真実

私は思った。

あの時、果たして父と私は、母に対してどんな思いを持っていたのだろうか、と。

 

私達は、母に対して、不幸になってほしいと思っていただろうか。

苦しんでくれ、と思っていただろうか。

死んでくれ、と思っていただろうか。

 

そんなはずはなかった。

そんなことを思うはずもなかった。

二人とも、そんな意思は決してなかったのだ。

 

私達は二人とも、母には一刻も早く健康になってほしかっただけだった。

母に早く元気になってほしかった。

いつまでもずっと笑顔のままで、ずっと長生きしてほしかった。

幸せな人生をずっと歩いてほしかった。

それだけだったはずだ。

 

そして、父と私だけでなく、母も、兄も、みんな心の底で家族が幸せであることをいつも望んでいた。

お互いが、家族一人一人の幸せを心から望んでいた。

そのことに、私はやっと気づいた気がした。

 

心の奥にあったそれこそが、唯一の真実だったのだ。

そして、きっとそれが、すべてだった。

 

 

ただ、あの頃の父も、私も疲れていた。

疲れきっていた。

そして、あの頃の私達には、自分と相手の心の奥底を推し量る余裕すらなかった。

 

でも、そんな中でも、私も、父も精一杯だったことだけは確かだった。

あの状況の中で、二人とも母に対して、家族に対して精一杯のことをしていたのだと、今私は思う。

 

だから、母が亡くなったことは不可抗力とは言わないけれど、その時のことは仕方がなかったのだと、今の私は正直に思えるようになった。

 

あの時は、父も、母も、私も、みんなぎりぎりだった。

そして、それがどんなかたちであれ、みんな一生懸命生きていたのだ。

 

だから、私はもう、あの時の父を許せると思った。

そして、あの時の自分のことも許せると思った。

 

 

あの頃、みんな心のずっとずっと奥で、お互いの幸せを願っていた。

 

どうすれば家族が幸せになるのか、それぞれ一人一人が一生懸命考えていた。

母も、父も、私も、兄も、あの時精一杯のことをやっていたのだ。

一生懸命生きていたのだ。

ぎりぎりまで。

 

ただあの時は、それが思うようにならなかっただけだ。

あの時、たまたまうまくいかなかっただけなのだ。

 

結果が、すべてではない。

きっと大切なことは、結果ではないのだ。

 

そこに、その人と、自分のどんな思いがあったかということだけが、きっと真実なのだ。

 

人間のあらゆる行動の背後には、必ずその人間の意思がある。

背後にあるその深いところに、その人間のどんな意思が働いていたのかということこそが、その人間の本質なのだと、私は思う。

 

だから、誰でも許すわけではない。

しかし、もしそこに善意があるのなら、少なくとも悪意がないのなら、それはなによりも尊重されるべきことなのだと、私は思うだけだ。

 

そして、そこにあるものに気づいた時、人間はもともと許せる人を許すことができるのだと、私は思う。

 

そのことに気づいた時、私は何年も許せなかった父を、やっと許すことができた気がした。

そして、あの頃の自分もまた同時に、許すことができた、と思った。

 

私は、憎しみと罪悪感の狭間で、何年も苦しみ続けてきた。

もがき続けてきた。

そして、こうして許すことができたのは、こういう捉え方ができるようになったのは、今の自分が、あの頃の自分よりも、多くの学びの中で、はるかに成長することができたおかげでもあると思っている。

 

今私は、当時のあの状況を振り返って、自分自身よく許せたなあ、としみじみ思う。

本気で自分を褒めてあげたいと思っている。

 

もちろん人生において、許すということが唯一の答えとは、私は思わない。

別に許さなくたっていい。

 

でも、私はきっと、あの頃の父と、自分と、家族をずっとずっと許したかったのだ。

本当は、そういう自分が、実は自分の中にずっといたことに気づいただけだったのかもしれない。

 

あの時、父も、母も、兄も、私も、私達は精一杯生きていた。

みんな家族が幸せであるために、一生懸命生きていたのだ。

 

ただそれがあの時は、あのような結果になったということだけだ。

 

だから今私は、あの頃のすべてを許せる。

あの頃の家族を許せる。

あの頃の自分も許せる。

 

そう思った。

 

 

真実は、いつも深いところにある。

3 過去のすべては、今この瞬間の自分を輝かせるためにある

今思うと、私は、最愛の母が亡くなった喪失感を、ずっと父を憎み自分を責めることで、埋めようとしてきた。

 

実は、罪悪感こそが、どんなに大切なものを自分は失ってきたのか、ということを私に教えてくれた。

そして、憎しみこそが、私に愛を気づかせ、あれからの自分を支え、この世に生かしてきてくれたのだ。

ということは、憎しみも、罪悪感も、今までの自分にとっては、なくてはならない必要なものだったということになる。

 

過去の一切は、今この瞬間の自分を輝かすためのものだったのだ。

 

今の私は、自分にとって大切なものが何かわかるようになった。

そして、私は、今この瞬間、自分がここに生きているというだけで、何物にも代えがたい無上の価値を感じるようになった。

 

それはすべて自分が悩み、苦しんできた過去のおかげだ。

すべては、今の自分にとって、必要な経験だったのだ。

 

あの頃から抜け出した今だからこそ、初めて言えることがある。

自分はずっとずっと苦しんできてよかった、と。

悩んできてよかった、と。

 

他人を殺したくなるほど憎んだことも、

自分を死にたくなるくらい責め続けたことも、

今の私には、すべていい経験だった、と。

 

すべては、今この瞬間のためにあったのだから。

 

今の私は、素直にそう感じている。

 

人生に無駄なことはない、と言う言葉に、私はよく出合った。

 

そういうことを言う人にも出会ったし、いろいろな本にも載っている。

しかし、私が今やっとそう思えるようになったのは、私が自分の人生の中で高すぎる代償を払ったからだった。

 

この人生には、代償を払ってやっとわかることがある。

そのことを本当に感じるために、私には多くの経験をする必要があったのだ。

それがたとえどんな辛い経験であったとしても。

 

そして、そこから抜け出した時、きっと人は、初めて過去の一つ一つが、実は今の自分を輝かすための、かけがえのないものだったことに気づくのだと思う。

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