穏やかな日々
1 七年後の空
昨日1月10日は、母の命日だった。
テーブルに置いた母の写真の前に、白い薔薇を一輪飾った。
その隣に母の好きだったお茶を入れてから、私は両手を合わせた。
風の強い日だった。
部屋の中は、静かで穏やかな時間が過ぎていった。
母が亡くなったあの日が、今鮮やかに蘇っていた。
時々壁の時計を見ながら、あの日の同じ時間に何が起きていたのか、その時自分はどうしていたのか、
私は思い出していた。
あの1日は、もう7年前になっていた。
こうしてみると、随分と月日が経ったような、ついこの間の出来事であったような、不思議な感覚だった。
どの場面も、ありありと思い出すことができた。
すると、今でも自分がそこにいるかのように、あの時と同じ感情や思いが、
自分の中から湧いてきた。
私は、きっとこれから先も決して忘れることはないだろう。
かけがえのない愛するひとを失った悲しみをや、どうしようもなくやり場のない悔しさを。
そして、その時の気持ちや思いを深く胸に抱いて、これからを生きていくだろう。
私には今、はっきりとわかる。
悲しみや悔しさが深い分、きっとそれは、未来の喜びに変えていくことができるのだと。
そして、それこそが、母が本当に願っていてくれたことなのだと。
そんなことを思いながら過ごした1日だった。
気づくと、壁の時計は、夜の12時を過ぎていた。
朝起きて、外を見た。
太陽がまぶしく輝いていた。
頭上には、あの日から7年経った空が、
どこまでも果てしなく広がっていた。
(2011.1.11)
2 東京の冬
朝から静かだった。
目覚めても、しばらくそのことに気がつかなかった。
ベッドの中で横になったままじっと耳を澄ませてみると、ガラス窓と障子を通していつも聞こえてくる、家の外からの音が、ほとんどない。
静まり返っている。
車がアスファルトの地面の上を走り去って行く音が、時折するだけだった。
起きて窓の外を見ると、青く澄み渡る空が見え、すっかり葉っぱを落とし枝だけになった林が見え、
そして、濡れた路面が見えた。
一昨日、東京も雪が降った。
それは降ってもすぐに融けてしまい、ほとんど積もることはなかった。
道路以外の所には、ちらほら白く積もっている所も見受けられたが、あまり大したこともなかった。
そして、昨夜も夜遅く雨が降ったのだろう。
天気予報を見ると、信州は雪だった。
東京と違って、冬は雪がよく積もった。
そこで自分が生活していたことを思い出す。
冬になって、その積もった雪の上を歩いたり、自転車に乗ったり、車を運転していたことを思い出す。
信州と違って東京は雪が積もらない分、生活するのは楽なのだろう。
ふと気づく。
自分が今、東京で暮らしていることがとても不思議だ。
何年か前には全く思いもしなかったことだ。
人生とは、本当はそういうことの繰り返しなのかもしれない。
だから、面白いとも言えるのかもしれない。
自分はこれから再びどこへ行くのだろうか。
そして、一体どうなっていくのだろうか。
それは、いつも謎のままだ。
きっとこれからも。
(2011.2.13)