父からもらった愛
1
母からもらった愛情を思い出すために、私は自分の幼い日からのことを順番に思い出していた。
すると、そこには母だけでなく、いつも父もいたことに気づいた。
そして、いつの間にか私は、今度は父から受けた愛も思い出していた。
父の愛は幼い頃の自分には全くといっていいほどわからなかった。
その時の父自身も心に葛藤を抱えていて、その愛情はとても不器用なものだったからだ。
でも、今の私には、当時よりはるかに父親の愛情にも気づくことができたことがとても嬉しかった。
父の愛は、家族を経済的に支えていくことだった。
そして、妻と子供が飢えないように、路頭に迷わないようにその生活をしっかりと守っていくことだった。
そのために父は、朝から晩まで働きずくめだった。
家族のために買った家のローンと妻子を養うために油まみれになって働いていた。
兄と私を幼稚園からずっと学校に行かせてくれた。
東京で引きこもりでいた時の私のアパートの家賃をずっと払い続けてくれたのも父だった。
父は幼稚園まで毎朝バイクで送ってくれたり、おもちゃや本を買ってくれた。
子供の私が野球に興味を持ったのは、父が休みの日になると決まって寺の境内でキャッチボールをしてくれたからだった。
父の投げた球はとても重かったことを覚えている。
また、私が自転車に乗れるようになったのも、父が近所の高校のグラウンドでずっとつき合ってくれたからだ。
私が小学校の頃、冬の神社でそりすべりをしたいと言った時、木で手作りで一生懸命に作ってくれた。
それは、他の子供が買ってもらったそりより自分にはずっと誇らしいと思えるものだった。
中学の時の美術の宿題で、私は何日もかかって彫刻で壁掛けの鏡を作った。
彫刻の板の部分を自分でうっかり割ってしまって私は泣いた。
翌朝目を覚ますと、それはもう割れたかどうかさえわからないくらいに修復されていた。
母に尋ねると、父が夜中に何時間もかけて貼り合わせてくれていたという。
父は私が初めて車の免許を取る時も、町外れの河原で車の運転をさせてくれた。
私がまだ仮免の時一人で無断で父の買った新車を持ち出して猛スピードで橋の欄干にぶつけ、その車を廃車にするほど大破させてしまったことがある。
そのことで警察に交番で朝まで問いつめられた時も随分心配をかけた。
でも、父は、自分の車を廃車にしなければならなかったことで私を責めることはなかった。
そして、父は、家族を車で海水浴にも、温泉にも、いろいろな所に連れていってくれた。
長年憎んできてしまった父から自分は、それは不器用であったかもしれないけれど、実はずっと父親の愛情をもらっていたのだ。
当時の私は、それを素直にとらえられない自分だった。
でも、いまやっと、その時のことを父に感謝できる気がする。
2
母のことを思い出していくうちに、父のことも思い出した。
そうやって自分の心の中を見つめていくうちにいつの間にか私は、内観をやっている自分に気がついた。
実は、内観は過去に何度かやろうとした。
しかし、その時の私は、父の愛も、母の愛もほとんど感じられなかったどころか、感謝の気持ちもなかなか湧いてこなかった。
トラウマを持っている時、人はその過去の出来事を思い出さなくするか、あるいは感じることをやめてしまう。
感じることは危険だと無意識にそうしてしまう。
そして、多くはそのトラウマだけでなく、他の思い出を感じることも止めてしまう。
感じることを始めるためには、トラウマを克服して、もう感じてもいいんだと思わなければ感じられない。
もしかしたら、私はやっと感じることを自分に許し始めたのかもしれない。
しかし、ここに来るまで自分は、どこまで長く果てしない道を歩いてきたのだろう。