私はずっと自分が嫌いだった。
1 私は、自分の気持ちを誤魔化していた。
私には過去にずっと誤魔化していたことがあった。
それは、自分が、心のどこかでずっと自分の弱さを認めていたことだった。
自分が、実は、心の奥ではいつまでたっても自分は弱くていいのだと思い続けていたことだった。
自分の悩みと苦しみは、自分の中の弱さが引き起こしていた。
それなのに、自分は弱くても仕方ないと、どこかでずっと思い込んでいた。
仕方ないとは、あきらめたということだった。
あきらめたら、自分の弱さを容認しているということと同じだ。
私の場合は、きっぱりと弱い自分を否定しなければならなかった。
弱い自分ときっぱりと決別しなければいけなかった。
それができなかったから、自分はずっと変わらなかったのだ。
そう気づいた時に、やっと出てきた感情があった。
自分は、こんな弱い自分のことが本当は嫌いだったということ。
私は、弱さに固執するがために、自分を他人につけ込ませ、自分を他人に軽く扱わせてきた自分のことが、大嫌いだったのだ。
弱い自分こそ、他人に自分の魂を売った張本人だったのだ。
弱さというものにいつまでも執着し、それをやり続け、自分自身に莫大な損害を与えてきたこの弱い自分を、私は、実はずっと憎み続けていたのだ。
もう、すぐにでもそういう自分を殺したいほどだった。
驚くべきことに、それがその時のうそ偽ざる自分自身の本当の気持ちだった。
自分自身の本当の気持ちに、その時私はやっと触れることができた。
セラピーや自己啓発などでは、よく自分を好きになれとか、自分を愛せとか言うけれど、当時の私のように弱い自分に辟易してる人にとっては、正直そんなことできるわけがない。
悩みや苦しみを絶えず自分自身にもたらしていたのは、いつだってそういう弱い自分だったのだから。
そして、自分に対するそういう感情がある以上、どんな感情であっても決して誤魔化さず自分でそれを正直に受け入れることしかない。
自分の中にあることをありのままに認めることからでしか、きっと救われない。
それができなければ、本当の意味で、自分が、自分自身ではない気がする。
2 自分を嫌いな自分を、受け入れる。
自分の弱さを受け入れるのではなくて、自分の弱さを嫌っている自分を受け入れることができた時に、私は楽になることができた。
その時、最も大切なことは、自分の心の中のものに正直に向き合い、そのすべてをありのままに受け入れるということだと知った。
そして、それは、自分を受け入れたくない自分というものさえ、そっくりそのまま受け入れる、ということなのだと。
自分を嫌いな自分がいてもいい。
自分を無理に好きになる必要もない。
自分の心の中にあるものを、ただ正直に認めるだけだ。
自分自身を愛するとは、自分を無理に好きになろうとすることではなく、自分の中にあるいろいろな感情を、そのまま受け入れてあげることなのだと思う。
大切なことは、自分の心の中を誤魔化さないということだろう
それができた時、自分が変わった気がした。
なぜなら、それができる自分とは、今までよりももっと視点の高い所から、いろいろな自分を俯瞰できる自分なのだから。
そういう自分にとっては、自分の弱さも、強さも、ただありのままにあるものに過ぎない。
そして、そういう自分だからこそ、自分をありのままに受け入れることができるのだろう。
また、不思議なことに、今までの自分に対する印象も変わった。
嫌いだった自分の中の弱い自分でさえ、好きになれなくてもそれがあったから、本当の自分自身の強さが持てるのだということにも気づいた。
俯瞰できる自分になることが、変わるということの本質なのではないだろうか。
結局、変わるとは、今までの自分から、より高い視点を持った自分自身へと抜けることなのだ。
そして、そういったすべてが、自分が、自分自身へと近づいていく過程なのだろう。